原爆投下から75年

日本長崎広島東京マリアナ諸島沖縄原爆搭載機の進入経路

原爆投下から75年

閃光、そして世界が一変した

初の原子力爆弾の開発にかかった時間はわずか数年、そして、最初の実験から戦争に使用されるまでにはわずか数週間しかかからなかった。75年後の今もなお、人類はその問題と対峙(たいじ)し続けている。

米国が1945年8月6日に広島に投下した原爆で、数万人が死亡し、街は一瞬にして焼き尽くされた。

この原爆、通称「リトルボーイ」は、原子を結合するエネルギーを放出するためのメカニズムを物理学で解明し、何年も研究した末に完成されたものだ。投下前に1度だけ行われた実験では、その重大さに、開発計画の主任科学者の1人だったロバート・オッペンハイマーは、ヒンドゥー教の聖典のこんな言葉を思い起こしたという――「今や私は死となり、世界を滅ぼす者となった」。

概念は単純だった。ウランやプルトニウムなどの核分裂物質を十分な量、十分な速度で衝突させると、核分裂物質が急速に「臨界量」に達し、放出された中性子が連鎖的に核分裂を引き起こす。

各原子の失われた質量は、驚異的に高い効率でエネルギーに変換される。「リトルボーイ」に搭載されたウラン64kgのうち、核分裂を起こしたのはわずか1.09kg。

にもかかわらず、ロスアラモス国立研究所の計算によると、トリニトロトルエン1万5000トンが爆発した際の破壊力に匹敵するという。

起爆装置

核分裂物質
(ウラン235)

「リトルボーイ」(ちび)

1945年8月6日 広島市

砲身型構造で、2つのウランを衝突させ超臨界に達する

起爆装置

火薬

核分裂物質
(プルトニウム239)

「ファットマン」(太っちょ)

1945年8月9日 長崎市

プルトニウムの核心を急速に圧縮し核分裂を起こす

起爆装置

起爆装置

火薬

核分裂物質
(ウラン235)

核分裂物質
(プルトニウム239)

「リトルボーイ」(ちび)

「ファットマン」(太っちょ)

1945年8月9日

長崎市

1945年8月6日

広島市

プルトニウムの核心を急速に圧縮し核分裂を起こす

砲身型構造で、2つのウランを衝突させ超臨界に達する

起爆装置

起爆装置

火薬

核分裂物質
(プルトニウム239)

核分裂物質
(ウラン235)

「リトルボーイ」(ちび)

「ファットマン」(太っちょ)

1945年8月6日

広島市

1945年8月9日

長崎市

砲身型構造で、2つのウランを衝突させ超臨界に達する

プルトニウムの核心を急速に圧縮し核分裂を起こす

起爆装置

起爆装置

火薬

核分裂物質
(プルトニウム239)

核分裂物質(ウラン235)

「リトルボーイ」(ちび)

「ファットマン」(太っちょ)

1945年8月6日

広島市

1945年8月9日

長崎市

砲身型構造で、2つのウランを衝突させ超臨界に達する

プルトニウムの核心を急速に圧縮し核分裂を起こす

上空約580メートルで炸裂したリトルボーイにより、広島市は約2.6平方キロメートルが壊滅。その範囲ではほぼ全員が即死した。もっと離れた場所でも、爆弾の熱で建物や人が燃え、有害な放射線が発生した。

街中で火災が発生し、急性放射線障害の患者は史上最多となった。最終的に10万人が死亡し、建物の半分以上が廃墟と化した。

広島市被災地図

1946年、米軍は航空写真をもとに、上空で「リトルボーイ」が炸裂し廃墟となった広島市の状況を記録した。

半壊・半焼

全壊・全焼

三篠本町

東白島町

東練兵場

堺町

司令部

爆心地

市役所

東雲町

広島

刑務所

江波小学校

陸軍糧秣支廠

仁保町

吉島陸軍

飛行場

宇品町

造船所

宇品駅

陸軍運輸部

広島湾

宇品島

金輪島

0

500m

広島市被災地図

1946年、米軍は航空写真をもとに、上空で「リトルボーイ」が炸裂し廃墟となった広島市の状況を記録した。

0

500m

半壊・半焼

全壊・全焼

工兵第五連隊

三篠本町

東白島町

東練兵場

堺町

広島駅

司令部

爆心地

福島町

市役所

東雲町

広島刑務所

陸軍被服支廠

江波小学校

陸軍糧秣支廠

仁保町

吉島陸軍

飛行場

宇品町

造船所

宇品駅

陸軍運輸部

宇品島

広島湾

金輪島

0

500m

広島市被災地図

1946年、米軍は航空写真をもとに、上空で「リトルボーイ」が炸裂し廃墟となった広島市の状況を記録した。

工兵第五連隊

半壊・半焼

三篠本町

全壊・全焼

東白島町

東練兵場

堺町

広島駅

司令部

爆心地

福島町

市役所

東雲町

広島刑務所

陸軍被服支廠

陸軍糧秣支廠

江波小学校

仁保町

吉島陸軍

飛行場

宇品町

造船所

宇品駅

陸軍運輸部

宇品島

広島湾

金輪島

0

500m

広島市被災地図

1946年、米軍は航空写真をもとに、上空で「リトルボーイ」が炸裂し廃墟となった広島市の状況を記録した。

変電所

三篠本町

半壊・半焼

工兵第五連隊

東白島町

全壊・全焼

東練兵場

堺町

司令部

広島駅

爆心地

古江

福島町

南紙屋町

缶詰工場

舟入病院

市役所

東雲町

皆実町

広島刑務所

陸軍被服支廠

江波小学校

仁保町

陸軍糧秣支廠

吉島陸軍

飛行場

宇品町

造船所

宇品駅

陸軍運輸部

宇品島

広島湾

金輪島

0

500m

半壊・半焼

広島市被災地図

1946年、米軍は航空写真をもとに、上空で「リトルボーイ」が炸裂し廃墟となった広島市の状況を記録した。

変電所

三篠本町

牛田町

工兵第五連隊

全壊・全焼

東白島町

広島陸軍病院

隔離病院

隔離病院

変電所

東練兵場

己斐町

司令部

広島駅

堺町

隔離病院

爆心地

福島町

古江

缶詰工場

南紙屋町

舟入病院

市役所

東雲町

草津町

工場

皆実町

広島刑務所

陸軍被服支廠

江波射撃場

旧広島大

江波小学校

仁保町

陸軍糧秣支廠

吉島陸軍

飛行場

宇品町

造船所

宇品駅

陸軍運輸部

宇品島

広島湾

金輪島

「リトルボーイ」誕生

1930年代後半にドイツの科学者が発見した核分裂反応を、米国は兵器化する計画を進めた。それは「マンハッタン計画」と名付けられた。 主導したのは米陸軍。科学者から建設作業員まで、ピーク時には10万人以上が参加したとされる。 科学者らはまず、原子炉を造った。場所はシカゴ大学構内にあるフットボール場の観客席の下。「シカゴ・パイル(シカゴの山)」と呼ばれたこの原子炉は1942年、制御しながら核分裂反応を起こせることを証明した。現在の原子力発電所の中核的な仕組みだ。

1956年、2つ目の原子炉「シカゴ・パイル2号」が地中に埋められた。その上には、記念碑が置かれている。米連邦政府撮影。

天然ウランから、核分裂性のあるウラン235を分離・濃縮する競争が始まった。もう1つの核分裂性物質であるプルトニウムは、1940年にカリフォルニア大学の研究チームが分離に成功した。一方で科学者らは、爆発に必要な瞬間的な臨界量をどう作り出すのが最善かを考えていた。

科学者らは2つのやり方を考案した。1つは、ウランのかたまりにもう1つのかたまりをぶつけて核分裂連鎖を起こす方法。2つ目は、球状のプルトニウムを爆発によって圧縮して核分裂連鎖を起こす方法だ。前者は1945年8月6日、広島に落とされた「リトルボーイ」。後者は同年8月9日、長崎で7万5000人もの死者を出した「ファットマン」だ。

「ファットマン」の爆発と、破壊された長崎の街。1945年8月9日。ロイターのビデオアーカイブ。

新兵器の開発は、数年どころか数十年かかることもある。爆発により圧縮を起こすタイプの爆弾を試した「トリニティ実験」が行われたのは1945年7月16日。原子炉シカゴ・パイルの建設から2年も経っていなかった。

それから1カ月も経たずに実際に使用された。

核実験

第2次世界大戦以来、核兵器で他国を攻撃した国はない。しかし、少なくとも8つの国が核兵器を開発し、科学者たちがより強力な核融合兵器、いわゆる「水爆」を含めた新しい兵器を理論化していく中で、世界中で実験が行われるようになった。オッペンハイマーがニューメキシコ州の砂漠でトリニティ実験の火球を見て以降、2000回以上の核実験が行われた。

ネバダ核実験場

「セダンクレーター」は、1962年7月の104キロトンの熱核爆発の結果できたものだ。クレーターは、実験場内のユッカ平原にあり、幅390メートル、深さ100メートル。

セダンクレーター

直径390メートル

爆発実験でできたクレーター

爆発実験でできたクレーター

ユッカ平原

米国

ネバダ核実験場

セダンクレーター

直径390メートル

爆発実験でできたクレーター

爆発実験でできたクレーター

ユッカ平原

米国

ネバダ核実験場

セダンクレーター

直径390メートル

爆発実験でできたクレーター

ユッカ平原

爆発実験でできたクレーター

米国

ネバダ核実験場

爆発実験でできたクレーター

セダンクレーター

直径390メートル

爆発実験でできたクレーター

ユッカ平原

米国

ネバダ核実験場

爆発実験でできたクレーター

セダンクレーター

直径390メートル

爆発実験でできたクレーター

ユッカ平原

米国

ネバダ核実験場

衛星画像:センチネル2、欧州宇宙機関。2020年7月17日。

実験の多くは長らく大気圏内で行われた。宇宙空間で行われたものもあった。その他の実験は爆風を封じ込め、放射性降下物の拡散を防ぐために地中で行われ、地下深くに設けられたトンネルで起爆された。

核爆発

世界最大の核保有国である米国とロシアは、1992年以降、核実験を行っていない。自国の核兵器を開発しようとしている他の国は、最近になって核実験を行っている。

核出力

複数の爆発

TNT相当

1万キロトン

大気圏核実験

米国

大気圏核実験は、1963年に部分的核実験禁止条約が締結されるまで実施された。

実験年

リトルボーイ

'45

ロシア

(旧ソ連)

'50

その他

'55

フランス

'60

アンクル(1.2Kt)

中国

ツァーリ(5000万Kt)

'65

'70

3400Kt

'75

4200Kt

'80

1900Kt

'85

200Kt

'90

ジャンクション
(200Kt)

'95

地下核実験

5Kt

地下核実験は、米国がユッカ平原砂漠で行ったアンクル計画が最初だった。

シャクティ1(45Kt)

'00

北朝鮮

'05

北朝鮮は2017年、出力約100キロトンの地下核実験を行った。リトルボーイの約6倍の威力だ。

'10

'15

'20

複数の爆発

核出力

TNT相当

1万キロトン

米国

実験年

'45年

リトルボーイ

ロシア

(旧ソ連)

大気圏核実験

'50年

大気圏核実験は、1963年に部分的核実験禁止条約が締結されるまで実施された。

その他

地下核実験

地下核実験は、米国がユッカ平原砂漠で行ったアンクル計画が最初だった。

'55年

フランス

'60年

アンクル(5000Kt)

中国

'65年

ツァーリ(5000万Kt)

シリウス
(200キロトン)

カノープス(2600Kt)

史上最大の核爆発はツァーリ・ボンバ(爆弾の皇帝の意)で、その核出力は50メガトン(TNT換算で5000万トン相当)を超えた。この水爆の爆発は、直径約8キロの火球を発生させた。

'70年

3400Kt

'75年

4200Kt

ネスター(200Kt)

'80年

1900Kt

'85年

ガラテ(200Kt)

'90年

200Kt

ジャンクション (200Kt)

'95年

5Kt

クストー(200Kt)

シャクティ1(45Kt)

クストーはフランス最後の核実験で、1996年1月に仏領ポリネシアで行われた。

'00年

北朝鮮

'05年

通常兵力が老朽化し時代遅れになっている北朝鮮は、2006年以来少なくとも6つの核実験を行っている。

'10年

'15年

北朝鮮は2017年、出力約100キロトンの地下核実験を行った。リトルボーイの約6倍の威力だ。

'20年

複数の爆発

核出力

TNT相当

米国

実験年

1万キロトン

'45年

リトルボーイ

ロシア

(旧ソ連)

大気圏核実験

大気圏核実験は、1963年に部分的核実験禁止条約が締結されるまで実施された。同条約で、大気圏や水中、宇宙空間での核実験が禁止された。

'50年

英国はハリケーン作戦で3番目の核保有国となった。

その他

ハリケーン(25Kt)

'55年

地下核実験

地下核実験は、米国がユッカ平原砂漠で行ったアンクル計画が最初だった。

フランス

'60年

アンクル
(1.2Kt)

中国

'65年

ツァーリ(5000万Kt)

シリウス
(200キロトン)

カノープス
(2600Kt)

ベンハム (1150Kt)

史上最大の核爆発はツァーリ・ボンバ(爆弾の皇帝の意)で、その核出力は50メガトン(TNT換算で5000万トン相当)を超えた。この水爆の爆発は、直径約8キロの火球を発生させた。

'70年

3400Kt

'75年

4200Kt

バノン(200Kt)

ネスター
(200Kt)

'80年

1900Kt

トルトゥーガ(200Kt)

'85年

ガラテ
(200Kt)

'90年

200Kt

ジャンクション (200Kt)

'95年

テミスチ(200Kt)

5Kt

クストー(200Kt)

シャクティ1(45Kt)

クストーはフランス最後の核実験で、1996年1月に仏領ポリネシアで行われた。

'00年

中国の初の核兵器実験「プロジェクト596」は1964年に行われた。最後の実験は1996年7月29日、新疆ウイグル自治区の「ロプノール」の実験施設で行われた。

北朝鮮

'05年

通常兵力が老朽化し時代遅れになっている北朝鮮は、2006年以来少なくとも6つの核実験を行っている。

'10年

'15年

北朝鮮は2017年、出力約100キロトンの地下核実験を行った。リトルボーイの約6倍の威力だ。

'20年

核出力

米国

実験年

TNT相当

'45年

リトルボーイ

複数の爆発

1万キロトン

英国はハリケーン作戦で3番目の核保有国となった。1952年10月、オーストラリア西部のモンテベロ諸島でプルトニウム爆縮型の装置を爆発させた。

ロシア

(旧ソ連)

'50年

その他

大気圏核実験

大気圏核実験は、1963年に部分的核実験禁止条約が締結されるまで実施された。同条約で、大気圏や水中、宇宙空間での核実験が禁止された。

ハリケーン(25Kt)

'55年

地下核実験

地下核実験は、米国がユッカ平原砂漠で行ったアンクル計画が最初だった。この場所では800回以上の爆発実験が行われた。

フランス

'60年

アンクル
(1.2Kt)

中国

'65年

ツァーリ(5000万Kt)

カノープス

(2600
キロトン)

ベンハム

(1150Kt)

史上最大の核爆発はツァーリ・ボンバ(爆弾の皇帝の意)で、その核出力は50メガトン(TNT換算で5000万トン相当)を超えた。この水爆の爆発は、直径約8キロの火球を発生させた。

'70年

3400Kt

'75年

バノン

(200Kt)

4,200Kt

ネスター(200Kt)

'80年

エグモント

(200Kt)

'85年

ガラテ(200Kt)

ナイチンゲール

(200Kt)

200Kt

'90年

ジャンクション

(200Kt)

テミスチ(200Kt)

'95年

5Kt

クストー(200Kt)

シャクティ1

(45Kt)

クストーはフランス最後の核実験で、1996年1月に仏領ポリネシアで行われた。

中国の初の核兵器実験「プロジェクト596」は1964年に行われた。最後の実験は1996年7月29日、新疆ウイグル自治区の「ロプノール」の実験施設で行われた。

'00年

北朝鮮

'05年

通常兵力が老朽化し時代遅れになっている北朝鮮は、2006年以来少なくとも6つの核実験を行っている。

'10年

'15年

北朝鮮は2017年、出力約100キロトンの地下核実験を行った。リトルボーイの約6倍の威力だ。

'20年

米国

実験年

1万キロトン

'45年

リトルボーイ

核出力

TNT相当

ロシア

(旧ソ連)

複数の爆発

'50年

大気圏核実験

大気圏核実験は、1963年に部分的核実験禁止条約が締結されるまで実施された。同条約で、大気圏や水中、宇宙空間での核実験が禁止された。

その他

英国はハリケーン作戦で3番目の核保有国となった。1952年10月、オーストラリア西部のモンテベロ諸島でプルトニウム爆縮型の装置を爆発させた。

ハリケーン(25Kt)

トーテム2 (10Kt)

'55年

地下核実験

地下核実験は、米国がユッカ平原砂漠で行ったアンクル計画が最初だった。この場所では800回以上の爆発実験が行われた。

フランス

'60年

アンクル
(1.2Kt)

中国

'65年

ツァーリ(5000万Kt)

シリウス

(200キロトン)

カノープス

(2600Kt)

ベンハム (1150Kt)

史上最大の核爆発はツァーリ・ボンバ(爆弾の皇帝の意)で、その核出力は50メガトン(TNT換算で5000万トン相当)を超えた。この水爆の爆発は、直径約8キロの火球を発生させた。

'70年

3400Kt

'75年

4200Kt

バノン(200Kt)

ネスター

(200Kt)

'80年

エグモント

(200Kt)

トルトゥーガ

(200Kt)

1900Kt

'85年

ガラテ

(200Kt)

ナイチンゲール

(200Kt)

200Kt

'90年

ジャンクション

(200Kt)

テミスチ(200Kt)

'95年

5Kt

クストー(200Kt)

クストーはフランス最後の核実験で、1996年1月に仏領ポリネシアで行われた。

中国の初の核兵器実験「プロジェクト596」は1964年に行われた。最後の実験は1996年7月29日、新疆ウイグル自治区の「ロプノール」の実験施設で行われた。

シャクティ1(45Kt)

'00年

'05年

北朝鮮

通常兵力が老朽化し時代遅れになっている北朝鮮は、2006年以来少なくとも6つの核実験を行っている。

'10年

'15年

北朝鮮は2017年、出力約100キロトンの地下核実験を行った。リトルボーイの約6倍の威力だ。

'20年

オーストリアの非政府組織オープン・ニュークリア・ネットワークのメリッサ・ハナム副ディレクターは、「核技術は容易になってきている。もはや新しい技術ではなく、保有してない国や国家ではない集団でさえも、秘密裡に核開発を行うことが可能だ」と話す。

人間の生活に影響

核実験は人間にも影響を及ぼす。大気圏内で実施された初期の実験では、計画通りに事が進んだ場合でも大気中に放射性物質をまき散らし、何百キロも離れた場所にまで拡散させてしまう恐れがあった。

実験が失敗に終わった場合は、壊滅的な結果を招いた。1954年にアメリカで行われたキャッスル・ブラボー実験は、5メガトン兵器の設計を評価するためのものだった。だが装置は15メガトンの出力で爆発し、多くの実験機材が一瞬にして消滅、大気中に放射性降下物を拡散した。その数時間後、日本の漁船・第五福竜丸に放射能が降り注いだ。被ばくした乗組員23人全員が放射線障害に苦しみ、1人が死亡した。

核実験が行われた場所

1945年以降、世界中で2000回以上の核爆発実験が行われた。

米国

ソ連

その他

核出力

メガトン

10

1

ノバヤ・ゼムリャ

ネバダ

ロシア

米国

中国

エニウェトク環礁

ビキニ環礁

米国

ソ連

その他

10

核出力

メガトン

1

ノバヤ・ゼムリャ

ネバダ

ロシア

米国

中国

アルジェリア

オーストラリア

エニウェトク環礁

ビキニ環礁

米国

ソ連

その他

10

5

核出力

メガトン

1

ノバヤ・ゼムリャ

ネバダ

ロシア

日本

米国

中国

アルジェリア

エニウェトク環礁

オーストラリア

ビキニ環礁

10

米国

ソ連

その他

5

核出力

メガトン

1

ノバヤ・ゼムリャ

ネバダ

ロシア

日本

米国

中国

アルジェリア

太平洋

エニウェトク環礁

大西洋

オーストラリア

ビキニ環礁

米国

ソ連

その他

ノバヤ・ゼムリャ

ネバダ

ロシア

核出力

メガトン

10

日本

米国

5

中国

アルジェリア

1

エニウェトク環礁

太平洋

ビキニ環礁

大西洋

インド洋

オーストラリア

米国が大気圏実験の大半を行っていた南太平洋の環礁では、多くの地元住民が土地を追われた。

「ウランの採掘や核関連物質の廃棄処分、核実験はしばしば先住民の土地で行われ、作業を行う人々や地元の人々は健康、環境、経済的なダメージを受ける」

オープン・ニュークリア・ネットワークのハナム副ディレクターは指摘する。

ハナム氏は、「核兵器の実験が行われている世界のほぼすべての場所で、先住民族は不当に大きな影響を受けている」と述べた。

今も1万4000発

広島に原爆が投下されてから75年が経過した今、世界の兵器庫には多数の核弾頭が眠っており、爆撃機やミサイルに搭載して使用可能な状態にある。米ワシントンにある軍備管理協会の推計によると、核兵器は1万4000発近くあり、米国とロシアが最も多い。米国が6185、ロシアが6490と圧倒的に多いが、このうち実戦すぐに使用できるのは3分の1程度だ。

こうした「配備済み」の核兵器は、2011年にロシアと米国が批准した新戦略兵器削減条約(新START)によって数が制限されている。冷戦のさなかには、その数倍の弾頭を保有していた。

世界の保有核弾頭数

冷戦終結後、核弾頭数は減少

1991年
米ソが第1次戦略兵器削減条約(START)に調印

世界全体の保有数が最大になったのは1986年の6万4099発

1993年
START2調印

世界全体

2002年
米ロがモスクワ条約(SORT)に調印

1986年
ソ連の最大保有数4万5000発

ソ連

米国

1967年
米国の最大保有数3万1255発

1991年
米ソが第1次戦略兵器削減条約(START)に調印

その他

2005年

1945年

1965年

1985年

冷戦期

1991年
米ソが第1次戦略兵器削減条約(START)に調印

世界全体の保有数が最大になったのは1986年の6万4099発

1993年
START2調印

世界全体

1986年
ソ連の最大保有数4万5000発

2002年
米ロがモスクワ条約(SORT)に調印

ソ連

2010年
米露が新戦略兵器削減条約(新START)に調印。両国の保有数を1550発ずつにまで削減

米国

1967年
米国の最大保有数3万1255発

その他

1955年

1965年

1975年

1985年

1995年

2005年

2015年

1945年

冷戦期

1991年
米ソが第1次戦略兵器削減条約(START)に調印

世界全体の保有数が最大になったのは1986年の6万4099発

1993年
START2調印

世界全体

1986年
ソ連の最大保有数4万5000発

2002年
米ロがモスクワ条約(SORT)に調印

ソ連

米国

2010年
米露が新戦略兵器削減条約(新START)に調印。両国の保有数を1550発ずつにまで削減

1967年
米国の最大保有数3万1255発

その他

1955年

1965年

1975年

1985年

1995年

2005年

2015年

1945年

冷戦期

1991年 米ソが第1次戦略兵器削減条約(START)に調印

世界全体の保有数が最大になったのは1986年の6万4099発

世界全体

1993年
START2調印

1986年
ソ連の最大保有数4万5000発

2002年
米ロがモスクワ条約(SORT)に調印

ソ連

2010年
米露が新戦略兵器削減条約(新START)に調印。両国の保有数を1550発ずつにまで削減

米国

1967年
米国の最大保有数3万1255発

その他

1945年

1955年

1965年

1975年

1985年

1995年

2005年

2015年

冷戦期

そのほか核兵器を保有するのは、英国、中国、フランス、インド、イスラエル、パキスタン。南アフリカは1980年代に核兵器を開発したが、10年経たずに解体を決定。国際原子力機関(IAEA)は1994年、すべての核兵器が廃棄されたことを確認した。

抑止力は永遠か

ロシアは2018年、核弾頭を搭載して水中を自律航行する「ポセイドン」を開発したと発表した。ロシア当局者によると、出力数十メガトンの核弾頭を相手都市のすぐ沖合まで静かに運搬できる。

米国は核兵器に年間500億ドル近くを費やしている。2020年、トランプ政権は核実験の再開を模索していると報じられた。

核保有国同士の中国とインドは国境紛争が流血の事態にまでエスカレートし、北朝鮮は核弾頭を搭載できる潜水艦の建造を進めている。

それでもこの75年間、核戦争は起きなかった。

米ミドルベリー国際大学院東アジア不拡散プログラムのディレクター、ジェフリー・ルイス氏は「核の惨状は白黒写真の中だけのもの、と油断している人が多いのではないかと心配している」と話す。「問題は、核抑止力が永遠に機能するかどうか。私はあまり確信が持てない。私たちの運は、いずれ尽きるということだ」

出典:

Nuclear Explosion DataBase (NEDB).
包括的核実験禁止条約機関準備委員会
米国戦略爆撃調査団、1946年
原子科学者会報
センチネル2、欧州宇宙機関
ロイターリサーチ
国際連合教育科学文化機関(UNESCO)

作成:

Simon Scarr Marco Hernandez Gerry Doyle 照井裕子

編集:

Clarence Fernandez

翻訳・編集:

山口香子 田頭淳子 久保信博 宗えりか