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時の流れから取り残されたようなイングランド沖の孤島に、雲を愛する人々がやってきた。彼らは大自然の中で空を見上げ、自然を楽しむ。一方、地球の反対側では研究者が雲に注目していた。気候を制御する上で重要な層積雲が、極限の条件下では消滅するという仮説を彼らは提唱する。人類が地球の生態系や環境に大きな影響を及ぼすようになったこの時代に、「雲追い人」は何を訴えるのか。
文:斎藤真理(英ランディ島にて)
写真:PHIL NOBLE
2019年7月25日


踏みつけられた草の道が、丘の上に建つランディ島唯一の教会、聖へレンズ教会まで続いている。扉の近くでは、群れからはぐれた子羊が背の高い雑草を食んでいる。ゴシック様式の塔の上にはイングランドの旗が翻り、東にはデボンの海岸が微かに見える。西には、大西洋が遮るものなく北米まで広がっている。
教会の中では、防風仕様のアウターを着たままの訪問者が何人か木のベンチから身を乗り出し、ジェーン・スキナー牧師の言葉を聞き取ろうとしていた。
「壮大でありながらあいまいで、確かにあるように見えて、はかなく消える。雲を理解できる者がいるだろうか」とスキナーは問いかける。白いガウンの下からは、丈夫な「テバ」ブランドのサンダルがのぞく。「神は天界から原子まで、また劇的な自然の力をふるって光を遮る雲まで、あらゆる視野を備えている」
スキナーの横では、参列者用のいすの周りを作業員が忙しく歩き回り、週末からの数日間に備えて設備を整えていた。電力網から隔絶した島に団体客を迎えるのは一仕事なのだ。電力源の発電機は午前零時に停止してしまい、誰かがお茶を入れようと電気ポットを使うと、ブレーカーが落ちてインターネットが途絶してしまう。

Cirrus and contrails compete in the sky above Lundy Island, with a lighthouse in view in the distance on this spit of land off England’s southwest coast.

A member of the Cloud Appreciation Society shows her love of clouds as the group takes the MS Oldenburg to Lundy for a special expedition. Nube is the Latin word for cloud.

Society members disembark the MS Oldenburg after arriving on Lundy for a long weekend of cloud-related activities such as lectures and walks.

Two cloud lovers have a little nap after arriving on Lundy, an island with little modern-day technology but lots of wide-open skies.

Stratocumulus clouds loom above the Halfway Wall on Lundy Island, with some Altocumulus possibly showing through above.

In the old cemetery on Lundy, early Christian burial stones sit side by side with the gravestones of the Heaven clan that once owned the island.

The setting sun illuminates the disused lantern room of the Old Light lighthouse on Lundy. The lighthouse’s beam was too high on an island marked by low clouds and fog.

Two lambs stick close to their mother as they graze on Lundy at sunset. The island is home to farmed sheep and wild Soay sheep.

Members of the Cloud Appreciation Society gaze at Cumulus and Stratocumulus clouds during their gathering on Lundy. Cumulus are the famously cotton-wool variety in our skies.

The National Trust has owned Lundy Island since the 1960s, with the Landmark Trust managing the properties.

Margaret Harwood, wearing a fleece jacket covered with Cloud Appreciation Society patches, and her husband, Richard, were the most recognizable couple on the island.

Highland cattle were initially brought to Lundy in 2012 as part of the island’s conservation program.

A vintage one puffin coin has been made into a necklace. A previous owner of the island ran afoul of the government when he minted the coins, which bore his own face on the other side.
「雲は、私たちに思い出させる」とスキナーは再び口を開く。「手を休め、美しく善きものである自然を称えることの喜びを」
彼女は、古き良き時代のまま凍りついたように見えるランディ島そのものについて語っているのかもしれない。
舗装された道路はなく、自動車もほとんどない。悩みなき世界での夏の冒険を描き出す児童書からそのまま抜け出てきたような島だ。
この日曜日の礼拝に集まった人々は、シンガポール人のカップルからスキナー自身に至るまで、「クラウド・アプリシエーション・ソサエティ(雲愛好協会)」の会員だ。彼らがこの島まで旅してきた目的はシンプルだ。空を見上げること、である。
雲の役割



雲一つない空は退屈か

ギャビン・プレトーピニーが、ある文学フェスティバルの席上でクラウド・アプリシエーション・ソサエティの設立を思いついたとき、大きな注目を集めることになろうとは予想だにしていなかった。
いかにも英国的でエキセントリックな集まりがまた1つできただけ、と無視されても不思議はないグループだが、15年後には4万7000人以上の会員を集めていた。
プレトーピニーは今でも、雲の話をするときは興奮が収まらない。彼は個性的な場所に会員を連れて行くことにしており、それが彼をランディ島に誘った。イングランド南西部の海岸から約18キロ離れた細長い島だ。
この島で過ごす週末の最初に、プレトーピニーは改めて会員にこう語りかけた。
「ちょっとでも、雲に頭を突っ込む時間が毎日あれば、地に足が着いた状態でいられる」
プレトーピニーは、子供時代に感じた空へのあこがれと、大人になって再び雲に巡り合ったノスタルジアの思いが、ソサエティの人気の理由だと考えている。
「みんなの中に眠っていた何かを呼び覚ましたのが、この会の成功の秘密だ。常に身の回りにあるものを、当たり前だと思わない、ということだ」と、プレトーピニーは話した。
常に「つながった」状態にある毎日の生活で感じる疲労の解毒剤として、ソサエティを利用している会員もいることも知っている。
「分断や両極化が進んでいる。少なくとも、そう感じられる」
プレトーピニーはこう話し、「自然界の中で、雲は世界中どこでも似ている。だから人々をまとめる力がある」と付け加えた。
プレトーピニーは、気候変動の分野においてソサエティが担うべき役割があるとしたら、それは何かと考えているという。週末の後半、彼は集まった会員に、ソサエティとして温暖化問題にもっと明確な態度をとるべきか否か、尋ねるつもりだ。
デンマークから参加したある会員は、気候変動対策の活動に定年退職後の人生を捧げる、と話す。米国からの会員数名は、ソサエティは日々のニュースとは無縁の存在であり、啓発活動からは距離を置く組織であってほしいと言う。彼らにとって、雲を楽しむことは一種の逃避なのだ。
ソサエティの綱領の1つに、このグループが大事にしているシンプルな喜びが掲げられている。「来る日も来る日も雲のない単調な空を見上げなければいけないとすれば、人生は退屈だろう」
だが、地球を半周回ったカリフォルニア工科大学では、ある科学者グループが、将来に関してまさにそのようなシナリオをモデル化していた。


漂う暗雲

科学界では、雲に地球温暖化を緩和する働きもあれば促進する働きもあることが1970年代から知られていた。だが、これからの地球温暖化で雲がどのような役割を果たすのかは、依然としてこの分野における最大の不確実性の1つだ。
地球の気候の制御に役立っている多くの雲のうち、特に重要なのは層積雲だ。低く垂れ込める灰白色の雲で、雨雲と勘違いされることも多い。この雲は熱帯の海の約20%を覆っており、太陽光を大気中に反射させて地球を冷却している。
これほど重要な層積雲だが、気候モデルにおいてはこれまで軽視されてきた。地表の気温に対する層積雲の冷却効果は、気候予測に正確に反映されてこなかったのだ。
カリフォルニア工科大学の気候学者タピオ・シュナイダーは、亜熱帯の海洋の一部における層積雲に注目し、スーパーコンピューター上で数週間かけて非常に詳細な計算を行った。
2月、シュナイダーのチームは論文を発表した。彼らのモデルによれば、大気中の二酸化炭素レベルが1200ppm(1ppmは100万分の1)、つまり今の3倍の濃度に達すると、層積雲はさらに小さな積雲に分裂し、実質的に消滅してしまうという。
「計算結果を見たときはショックだった。それまでは一種の思考実験にすぎなかったから」とシュナイダーは言う。「それが、少しリアルに感じられるようになった。もし現実になったら、恐ろしいことだ」
「計算結果を見たときはショックだった。それまでは一種の思考実験にすぎなかったから」
もっともシュナイダーは、計算結果には多くの不確定要素が残されており、極端なシナリオなのですぐにパニックになるべきではない、とも指摘する。
他の気候研究者はこの論文に批判的で、狭い範囲の雲に基づいた結論であり、地球全体に敷衍(ふえん)することはできない、と反論している。
「狭い範囲でモデルを動かして、スケールの小さい部分で正解を得るだけでは十分ではない。あらゆる媒介要因が雲の変化に強い影響を与えているが、その点がこの論文には欠けている」。ハンブルクのマックス・プランク気象学研究所でディレクターを務めるビョーン・スティーブンズはこう指摘する。
シュナイダーとその同僚らは、温室効果ガス排出によって生じる4度の上昇に加え、層積雲の消失によって地球の気温はさらに約8度上昇すると推測している。地球でこうした気象変動が見られたのは約5000万年前であり、その頃は北極海でワニが泳いでいた。
5月、ハワイ島の海抜3400メートル地点にあるマウナロア観測所で、大気中の二酸化炭素濃度が415ppmを記録した。これは1950年代後半に毎日の観測が開始されて以来、同地点で記録された最高値だ。現在、二酸化炭素濃度はこの数百万年間で最高の水準にある。今のペースで二酸化炭素の排出が続けば、シュナイダーのチームがモデル化した層積雲消失のシナリオは、1世紀のうちに現実になってしまいかねない。


風景の変化

風景画家のライネル・プレイフォードは、ブリストル海峡を見下ろすランディ島南端の丘に座っている。頭上をヒバリが2羽、さえずりながら飛んでいく。
クラウド・アプリシエーション・ソサエティの会員であるプレイフォードがランディ島にやってきたのは、ピエロ・デラ・フランチェスカの絵画から、ジョン・コンスタブルの描いたイングランドの田舎風景に至るまで、芸術作品における雲の描写について講演を行うためだ。
教会での講演が終わると会員たちは解散し、プレイフォードは昼食前に絵を完成させようと急いだ。
白いエナメルのパレット上で水彩絵の具を混ぜながら、プレイフォードは「こうしていると楽しいんだ」と話す。彼は前に置いたコットンラグペーパーに筆を走らせ、陽射しに目を細める。「雲の特徴をしっかりと捉えないとね」
「気候変動に関する知識や、私たちや子どもたちの将来をめぐる恐怖、またそれがいかに避けがたいか、そうしたことのすべては、何らかの形で表現されなければならない。私のような人間にとっては、アートがその方法だ」
6年前、プレイフォードが雲に関心を持っていることを聞き及んだ研究者がアトリエを訪ねてきて、年月が経つあいだに大気汚染や気候変動によって空の描き方は変化したか、と質問した。
このときは答えを持ち合わせていなかった。だがプレイフォードは、これをきっかけに地球温暖化が彼の題材である風景に与える影響や、環境問題への興味をかき立てられた。2013年から気候科学者と協力を始め、最近では、若手の海洋学者らとともにドイツの砕氷船「ポーラーシュテルン」号に招聘芸術家として乗り込み、巨大な海洋壁画を共同制作している。
「気候変動に関する知識や、私たちや子どもたちの将来をめぐる恐怖、またそれがいかに避けがたいか、そうしたことのすべては、何らかの形で表現されなければならない。私のような人間にとっては、アートがその方法だ」


神話からモデルへ

世界中の様々な文化に、上空に漂う雲に関する独自の神話や物語がある。
「ハムレット」では、主人公が王の重臣ポローニアスを試すために、雲の中にどのような動物の姿を見えるかを尋ねる。自分がラクダ、イタチ、クジラと見立てを変えても、そのたびにポローニアスが同意するのに気付いた若き王子は、最も信頼の篤い廷臣でさえ信用できないことを悟る。
常に変わりやすく予測しがたい雲ではあるが、どの気候変動シナリオにおいても重要な役割を果たすことは間違いない。科学者たちはこれまでにも、高高度の雲の最上部が大気上層部にまで至っており、より多くの熱を貯めこむことで雲の温室効果が高まっている可能性がある、と報告していた。また、雲が南北両極に向かって移動している証拠も見つかっていた。
研究者らは、グローバル気候モデルにおいて、地表の気温や他のプロセスに与える雲の影響にもっと注意を払うことが不可欠だと話している。
グローバル気候モデルは、地球を数十キロ─数百キロのグリッドに分けて把握するコンピュータ上の「網」だ。雲やその複雑な形成プロセスはもっとスケールが小さく、気候モデル化の際の「盲点」になっている、とカリフォルニア工科大のシュナイダーは言う。
「文字通り、こうしたモデルの隙間からこぼれ落ちてしまっている」
シュナイダーは今、「気候モデリング同盟」を構築しようとしている。テクノロジー関係者や多分野にまたがる専門家を結集し、雲のようなスケールの小さいプロセスをよりよく反映する新しいモデルを生み出そうという動きだ。


私たちは何を失うのか

クラウド・アプリシエーション・ソサエティの会員は、ランディ島を離れるために荷物をまとめ、雑貨店やパブで勘定を済ませている。
ソサエティの会員であるウォルト・リオンズは大気圏の研究者で、過去には気象学者としてニュース番組にも出演していた。いま、パブの片隅でランチを終えるところだ。
米国気象学会の会長を務めたこともあるリオンズによれば、彼の同僚らは何十年も前から気候変動の明白な現実について警告し続けてきたが、ほとんど効果はなかったという。
ランディ島で週末を過ごした後、クラウド・アプリシエーション・ソサエティは、気候変動をめぐる議論には立ち入らないことを決めた。気候変動に関する啓発を活動内容に含めることをためらった仲間たちについてどう思うかを尋ねたところ、リオンズは少し間を置いた。
「雲を鑑賞するだけでも意味は大きい。自然とのつながりを取り戻させるのだから」
それからリオンズは、昨年10月にコスタリカを訪れたときのことを語り始めた。地元のガイドの話では、以前は有名なモンテベルデの森で最も高い木々の頂にかかっていた雲が、今では空のもっと高いところに浮かぶようになったという。
地球温暖化の証拠は、スローモーションで見る列車事故のように日々増えているように思われる。目をそらすことはますます難しくなっている。
「どちらを向いても温暖化の影響が目に入る。まさに、気候モデルを作成した人々が予言していたとおりだ」とリオンズは言う。
「雲を鑑賞するだけでも意味は大きい。自然とのつながりを取り戻させるのだから」と最後に彼は言った。「私たちが何を失いつつあるのか、もっと多くの人が理解できたなら…」
彼は席を立つと、レジで勘定を払った。


空を見上げて

スキナーもランディ島を離れる用意をしていた。日曜日の礼拝のために彼女が聖へレンズ教会に戻ってくるのは、また数カ月先になるだろう。
ランディ島が孤島であるせいか、島の教会を訪れる人々は、胸中の悩みを積極的に打ち明けようとすることが多いという。
「現代は、途方に暮れ、無力感を抱きやすい時代だ」とスキナーは言う。それから彼女は、「あれほど美しく、はかないものが消えてしまうのを見ているのは辛い」と言葉を継いだ。雲のことなのか、それとも別の何かを意味しているのかは説明しなかった。
「あれほど美しく、はかないものが消えてしまうのを見ているのは辛いことだ」
そこへ、青いウィンドブレーカーを着た観光客が息を切らせながら丘を上がってきた。つばの広い帽子を脱ぎ、教会の前で立ち止まる。
「皆さん、何のためにお集まりなのですか」と彼は尋ね、スキナーの頭越しに教会のなかを覗いた。スキナーがクラウド・アプリシエーション・ソサエティの集まりについて話すと、彼はまるで初めてその存在に気づいたかのように、空を見上げた。
「『アプリシエーション』って、どういうことですか?」と彼は尋ねた。
スキナーは、会員それぞれが、このソサエティの意味について自分なりの理解を持っている、と応じた。
「並外れた科学的知識を持つ会員もいれば、オーストラリアから写真を送ってきて『ほら、イヌがウサギを追いかけています』と書いてくる会員もいます」と彼女は説明した。
男性は顔の前に手をかざし、そのまま空を見上げた。そして海峡を隔てたデボンの方に目をやり、ウェールズの緑の丘を見つめ、しばらくのあいだ、再びじっと上空の雲を眺めていた。
